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シャンパンの基礎知識

一般には、仏シャンパーニュ地方で生産されたブドウのみを使い、
瓶内二次発酵を行った上で封緘後15ヶ月以上の熟成を経た発泡ワインを指す。元となるワインは
様々なレシピによりブレンドされる点や、
シロップを添加(ティラージュ・ドサージュ)する点も特徴である。
ほぼ同様の工程を経た発泡ワインに、スペインの「カヴァ」、
イタリアの「スプマンテ」、ドイツの「ゼクト」等があるが、シャンパンはその選定基準の厳しさと
熟成期間の長さにおいて突出している。





現在シャンパンと言う場合、
1919年に
アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(原産地呼称統制)法、
略称AOCによって定められた定義に基づいて、シャンパーニュ地方でつくられた
8つのブドウ品種、ピノ・ノワール(Pinot Noir)、シャルドネ(Chardonnay)、
ピノ・ムニエ(Pinot Meunier)アルバンヌ(Arbanne)、プティ・メリエ(Petit Meslier)、
及びピノ(Pinot)系の全て、を材料として醸造された発泡性ワインのことである。
シャルドネが指定品種の中に含まれていないのは、シャンパンがAOCに指定された当時は、
ブドウ品種の分類に関する研究があまり進んでおらず、
シャルドネはピノ系のブドウと思われていたためである。


しかし、AOCが制定された当時、フランスにおいてもシャンパーニュ地方以外でも
シャンパンという名称で発泡性ワインが生産されており、
発泡性ワインの一般名称であった。現在でもカリフォルニア・シャンパンという呼称で
カリフォルニア産の発泡性ワインがつくられているのは、
200年以上生産されてきた歴史に基づいている。シャンパンの呼称は、

日本でも発泡ワインを総じて指されることも多いが、フランスのAOC法を尊重するならば
「シャンパーニュ産の発泡ワイン」にのみ許されたものであるAOCの規格に則って製造された
発泡ワインだけが、シャンパンと名乗ることを認められる。
かつて日本ではこれに似せて作られた清涼飲料水を「ソフトシャンパン」と
名付けて販売していたことがあるが、これに対してはフランス政府からの抗議があり、
シャンメリーという名称に変更された。シャンパンは産地、原料、製法が限定されるが、
シャンパーニュ以外の地方で作られた発泡ワインも合わせて
その総称をヴァンムスー(Vin Mousseux)と呼ぶ。



フランスのシャンパーニュ委員会ではシャンパンの正式名称として
「シャンパーニュ」を推奨している。一方で、「シャンパン」が
既に日本語として定着していることや、
フランス語の音韻に近いことから、
従来通り「シャンパン」と呼称する方が多い。

シャンパンは生産者毎に番号が振られており、ラベルに記載される。

シャンパーニュの歴史

シャンパーニュの父 ドン・ペリニヨン


泡立ちが飲み手を魅了するシャンパンの発明者と言われるのがドン・ペリニョン
ベネディクト会の修道士でオーヴィレーヌ修道院の出納役でした。
ワイン生産者として一個人の名がこれだけ知られているのは、彼以外にいませんね。
(最もその後のモエ・シャンドン社の宣伝によるところが大きいのですが。)

オーヴィレーヌ修道院は、650年に建設されて以来、
労働と祈りの場としてフランス革命までワイン生産が続けられました。

フランス革命(1799年)で修道院が閉鎖された時の最期の出納役ドン・グロサールが、
どうも彼にまつわる伝説を作り上げたようです。ただドン・ペリニョンは存命中にシャンパーニュの守護神のように
称される程の優れた功績を残していましたから、実際優秀な出納役であったことは間違ないようです。

1668年、ドン・ペリニョンは29歳でオーヴィレーヌの出納役に
任命されて以来1715年で亡くなるまで次の事を通じてワインの品質の向上につとめました。

※低収量での収穫
※選果の徹底
※葡萄樹の剪定法
※葡萄果、果汁をいかに新鮮、清潔に保つか
(このため高価な圧搾機を畑の近くに何台も置いて素早い作業を集約的におこないました。―小農ではできない工程です。―)
などなど

今日のブドウ栽培の目指すところと共通する部分が、大きいことに驚かされます。

また、彼が最も腐心したことは、なんとワインの瓶内二次発酵の阻止でした。

出来るだけ安定した白ワインをつくることがドンペリニョン究極の目的でした。

冷涼なシャンパーニュでは、秋が寒く発酵が停止してしまい春になると再発酵することがしばしばでした。
そのため再発酵しやすい白ブドウの栽培ではなく、ビノノアールなどの黒ブドウを栽培しました。
(このためシャンパーニュの古い産地のモンターニュ・ド・ランスでは今でもビノノアールが多く栽培されています。)

また、木樽をなるべく使わないよう「澱と空気はワインの二大疫病である。」から、早めの瓶詰を行なうようにしました。瓶詰シャンパーニュワインはドン・ペリニョンの代名詞となりました。

その結果彼のつくるシャンパーニュワインは、従来1年ほどしか
保存出来なかったものが5〜10年は楽にもつレベルにまで向上しました。

パスツールの出現はるか前の時代にアルコールやブランデー添加しない長熟ワインを作り上げたのです。

ドン・ペリニヨンのつくるシャンパーニュは、フランスで最も有名な白ワインになった訳です。

いわゆる発泡性のワインはドン・ペリニョンが出納役になる以前からあり、
1662年イングランド王位協会に出された論文「ワイン商人の秘密」の中に
『近頃の樽屋はワインを発泡性の飲み物にするために、あらゆる種類のワインに
莫大な量の砂糖や糖蜜を使っている。』とあります。


ドン・ペリニョンがオーヴィレーヌ修道院に移る頃、徐々に人気が出て来たらしいです。

ですから、ドン・ペリニョンは「シャンパーニュの泡を立たせず、
宮廷が赤のブルゴーニュより白のシャンパーニュを好むようにすることが終生の仕事」となったのです。
(逆に言えば、赤ワインとしてはブルゴーニュを簡単に超えられないことを知っていた訳です。)

しかし、現実はドン・ペリニョンの理想とは逆に、宮廷や貴族の間では17世紀後半には
「泡の立つ白ワイン」シャンパーニュは猛烈に流行するようになりました。

ドン・ペリニョンの瓶詰された白ワインのコルク栓をあけてグラスに注ぐと
微発泡性の泡が立つことは容易に想像がつきます。

そしてそれが愛でられたらしいです。

瓢箪から駒という訳ではないのですが、10分の1くらいの確率で発泡性のシャンパーニュに当ったらしいです。

とはいえシャンパーニュでは、軽く安い赤ワインが9割以上つくられており、
高級な白ワインはまだまだ少なく、さらに発泡性となると
極極少ない希少品となったようです。なんという皮肉でしょう!

1691年にはルイ14世はシャンパーニュを通常の商業ベースにのせることを許可しました。
委託販売の形をとり仲買人(クルティエ)の事務所を設立しました。

発泡性のシャンパーニュは、こうしてルイ14世が1715年に奇しくもドン・ペリニョンと
同じく死んだのちの享楽的な宮廷貴族の生活の必需品になっていきました。

ただ瓶自体が弱く強度が足りないため、瓶の破裂は高い頻度で起こっていたようです。

元来、修道院などがつくり目指した祈りと勤労とは程遠い俗っぽいものになってしまったのです。








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